高校時代からの友人が癌であることを知らされたのは今年2月のこと。
両親の仲が良く、明るく穏やかな家庭で育った友人は
やはり明るく穏やかで、そしてとても楽天的。
少しくらい嫌なことやショックなことがあって落ち込んでも
2時間もすれば元通り。
ユーモアに溢れていて何でも笑いに変えてしまう。
彼女といると、とにかくよく笑える。
そんな彼女を尊敬し、半ば羨ましく思いながら
つかず離れず程よい距離間で
40年余の歳月の交流を続けてきました。
しかし、さすがの楽観的な彼女も
現在自分の置かれた状況が厳しいものであることはある程度承知しているようです。
そして、突然突き付けられた現実に
後悔や不安や不満を感じて眠れない日もあるようです。
先日、金井先生とお会いする機会があった時
死に関する話になりました。
先生は「私は死を不安に思わない」ときっぱり。
「でも、わからないよ。
私だっていざその時がきたら、おろおろジタバタするかもしれないし
みっともなく無様に死んでいくかもしれない。
でも、今日不安の無い一日を生きるほうが大事。
そのためには、毎日の瞑想で死ぬことです。
一日5分の瞑想の中で、5分は自分は死ぬんだと思って瞑想するんです。
瞑想の中で死を体験すれば、死は怖くなくなります。
死に慣れるんです。」そうおっしゃいました。
自分を捨てて死ぬ・・・
死は慣れるもの・・・
師はさらに言います。
死が迫ってきたら「あそこに戻るんだ」と思えばいい、と。
人は未知のものを怖れる。
自分が無くなることを怖れる。
そっか、死が未知のものでなくなれば
自分が無くなることが
怖れるに足りないことであることを知れば怖くなくなるのか・・・。
たしか、私の瞑想の先輩も言っていた。
「深い瞑想は死と同じ」と。
瞑想を知っててよかったなと思える。
飛び立って今日の自分をイノチいっぱい生きよう。
人生にいつ終わりが来ても
後悔しない毎日を生きよう。
人生を楽しんだ人ほど死を受け入れるのもスムーズだそうだ。
友と私、どちらの死が先でも
誰にでも平等にいつか必ずやってくる最期の時まで
彼女とは友でいたいと思っている。