瞑想つれづれ日記③ 毎日の瞑想で死ぬんです

コラム

高校時代からの友人が癌であることを知らされたのは今年2月のこと。
両親の仲が良く、明るく穏やかな家庭で育った友人は
やはり明るく穏やかで、そしてとても楽天的。

少しくらい嫌なことやショックなことがあって落ち込んでも
2時間もすれば元通り。
ユーモアに溢れていて何でも笑いに変えてしまう。

そんな彼女を尊敬し、半ば羨ましく思いながら
40年余の歳月の交流を続けてきました。

しかし、さすがの楽観的な彼女も
現在自分の置かれた状況が厳しいものであることはある程度承知しているようです。

そして、突然突き付けられた現実に
後悔や不安や不満を感じて眠れない日もあるようです。

先日、金井先生とお会いする機会があった時
死に関する話になりました。

先生は「私は死を不安に思わない」ときっぱり。

「でも、わからない。
私だっていざその時がきたら、おろおろジタバタするかもしれないし
みっともなく無様に死んでいくかもしれない。

でも、今日不安の無い一日を生きるほうが大事。

そのためには、毎日の瞑想で死ぬことです。
一日5分の瞑想の中で、5分は自分は死ぬんだと思って瞑想するんです。
瞑想の中で死を体験すれば、死は怖くなくなります。
死に慣れるんです。」

そうおっしゃいました。

自分を捨てて死ぬ・・・
死は慣れるもの・・・
そっか、慣れたら怖くなくなるのか・・・

不安がなくなるから、飛び立って今日の自分を生きられるんだ。
今日という日をイノチいっぱい生きていたら
不安の入る余地はないんだな。

朝日を浴びて散歩をする今日の始まり。

洗濯物のはためく木の下で
本を広げて感じる春風。

雨だれのリズムに
孤独のやすらぎを感じる雨期。

まるで目玉焼きができる時のようにジュ―っと水平線に沈む真夏の夕日。

庭の雑草の勢いがおとなしくなると冷たくなってくる空気。

冴ゆる夜空に静かに光る上弦の月。

季節を味わうことは、恵みを味わうことと同時に
その厳しさや人間には不本意な事情を背負うことでもある。

それでもやはりこの世界は美しい。

明日はまた仕事だ。
重たい専門書や、慣れない入力作業も待っている。

できない、わからないとなかなか人に言えなかった私が
「これ、どうやるんですか?それ、今どうやったんですか?
どうしたらできたんですか?」と聞けるようになった。

それを笑われても一緒に笑えるようになって
ひがみっぽく頑なだった小さな自分が死んだ。

頭の悪い自分は軽蔑されると思っていた。
でも、少し違った。

ひとつ死んだら一つ楽になった。
これも慣れだ。

人生にいつ終わりが来ても
後悔しない一日を生きよう。

今は、ひがみっぽくなっている友人のホスピスの相談に乗っている。
どちらの死が先でも、死をまっすぐ言葉に出しあえる友人でいたい。
彼女に瞑想を知らせたい。

タイトルとURLをコピーしました