瞑想の歩み① 自分の場所を求めて

コラム

瞑想に慣れてくると
自由に瞑想を楽しむ日が増えてきました。

自分の意識が宇宙空間に浮かんでいるように感じられ
「あんなことも、こんなことも・・・」と
子どもの頃の出来事やそれまでの失敗の記憶が
次々に現れては消え、現れては消えて
言語化しがたいところから湧いてくるそれらのものを
ただ泣きながら観ていることもありました。

よく人間が死ぬとき
それまでの人生が走馬灯のように駆け巡るのを見る
などという話は聞いたことがありましたが
きっとこういうことを言うのではないかと思うような体験です。

また、一片の曇りもない青空が見え
「もうなーーんにもいらない!!」と心底満足し
無上の喜びに浸っていることもありました。

あるいは、なんとなく身体を動かしたくなり
なんとなく動かしてみているうちに
ついには立ち上がって上半身と下半身を真っ二つに折り曲げて
まるで洗濯物が風にはためくように
ぶらんぶらんと上半身を揺すり始める・・・そんなこともありました。

これがまた気持ちが良いのです。

やがて動きは激しくなり
猛獣のように頭を振る自分。

知らない人が見たら
「この人大丈夫?!」ときっと誰もが心配するような姿だったと思います。
でも不思議なことに、自分では少しも不安を感じないのです。

自分がやっていることはわかっていて
もういいかなと思ったところで止める。

それを「体動」ということを
後で師に教わりました。

この動きは今でも時々出ますが、
体動はもっと様々な動き、微妙な形で現出することもあります。

瞑想しながら意識が自然と下腹のあたりに行き
そこを意識すると泣くこともありました。

それは何年にも渡って続きました。
これも体動の一種ではなかったかと思います。

私は若い時から子どもを持ちたい気持ちが強くありましたが
もしかしたらいつの時代にか
子どもに恵まれず苦しんだとか
子どもを亡くしてしまったとか
「そういうことがあったのかもなー」なんて漠然と思ったことがあります。

そうして気づいたら
手術を勧められたこともあったくらいの
子宮筋腫がきれいさっぱり消えていました。

これは瞑想とは関係なく
単に年齢的なホルモンの関係によるものだったのかもしれませんが・・・。

でも、おかげで不具合の多かった私の心身が
女性の最も複雑と言われる年代を健やかに穏やかに
峠を越えることができたことは幸いなことだったと思っています。

また、広大な赤い大地の向こうに
むき出しの赤い岩が並んでいる景色が見えたこともあります。

岩の上に立ってその大地を眺めているのは
腰蓑のようなものを身に着けただけの若くたくましい青年。
手には石槍のようなものを持っていました。

見覚えのない若者でしたが
でも、私はそれが自分だという確信があるのです。

横穴の通路から岩の中に入ると
中には一人の女性が・・・。

若くたくましい青年の私は
その女性を心から大切に思っていることが手に取るようにわかりました。

物も十分ではなさそうな時代。
二人には言葉という概念がないのか
喋って話してコミュニケーションを取ることはなく
それでもひたすら二人で役割分担をしながら
生きるための仕事をしていました。

後でその赤い景色がどこなのか知りたくて必死で調べました。
おそらく、アメリカ先住民族インディアンの聖地
セドナあたりの風景ではなかったかと思っています。

どうりで瞑想を知る前から
アメリカインディアンの知恵に惹かれるはず。

「言葉を通さないコミュニケーションがあったことは
あなたにとってとても重要なこと」
だと後で師に言われました。

言葉に毒された現代社会において
言葉に依らず感じ取り伝え合えるもの・・・
「愛と信頼」ってそういうものなのかもしれないと
赤い大地に生きた自分を思い、漠然とそう思ったのを覚えています。

よく言われる過去生というものが本当にあるのかどうかはわかりませんが
こうして、少なくとも自分は
今の時代の今の自分しか意識できないけれど
実は深く入って行くと
いくつもの時代の記憶を持っているのかもしれないと感じた体験でした。

私は師を持って瞑想ができてラッキーだったと思っています。

そもそも師に出会わなければ瞑想はしていないわけですが
もし師がいなければ、自分の体験の意味を理解することはおろか
自分には特別な能力があるだとか
頭がおかしくなってしまったなんて誤解をしてしまったかもしれず
そう言った意味でも
瞑想には師が必要であると思います。

そうやってその時々の自分に入って行き
瞑想を楽しむ日々を過ごすうち
私は自分のエネルギーがどんどん明るく軽くなっていくのを
感じていました。

そして、いつの頃からか
「この自分の内側からあふれ出てくるエネルギーを
どこかに流し込みたい。流れる場所が欲しい。」
と切実に思うようになりました。

それまで経験してきた家庭という場所以外の
自分の場所が欲しくなったのです。

そして、介護も子育ても
ひと段落した頃を見計らって
私は誰にも告げず一人で求職活動を始めました。

なにもその「場所」というものが仕事でなくても良かったのかもしれませんが
夫の仕事に合わせて全国を転々とし
また子どもが増えて家事と育児に追われるうち
自分が仕事をする機会を逸してきたことが
少し心残りであったのかもしれません。

しかーし!
ここから私は、自分の自我に翻弄される体験を始めることになります。
自分が自分の思うようにならないというより
自分の邪魔をする自分がいるとは露ほども知らなかったのです。

すさまじい自我の抵抗は
それまで意識できなかっただけで
実は長くそれに支配されて生きてきたのだということを知ることになります。

しかし同時に、それは自分を守ろうとする
人間としてのいわば本能にも近い衝動であったことも
ずいぶん後で理解できるようになったのでした。

次は求職活動の中で起きた私の冒険物語(?)をお話します。

注)瞑想体験は人によって様々です。
  神秘体験があることが素晴らしいとかそういうことはありません。
  そういう体験が全くなくても、
  瞑想は師が提唱する基本の3つのことを淡々と続けることで 
  少しづつ自由な心を手に入れていくことができます。
  毎回の瞑想がどのようなものであれ、それはその時の自分を現わす立派な瞑想体験です。 
  神秘体験のように思えるものは、瞑想の目的そのものではなく
  あくまでも自由への通過点です。
  
  瞑想の目的やその体験による意味など
  瞑想について正しく知るには
  金井メソッド瞑想のホームページ内の「教材・参考書」を検索し
  特に「瞑想ー金井メソッド」 金井系一郎 著 
  を参照してみてください。

タイトルとURLをコピーしました