瞑想の歩み② おばちゃん就活日記 パートⅠ

瞑想の歩み①-

家庭以外での場所が欲しくなり、仕事を求めて活動を開始してから
私は、子どもの頃何度も見た夢を再び繰り返し見るようになりました。

夢の中では、「嵐が来るぞー!津波だー!逃げろー!」などと叫びながら人々が大騒ぎ。
私は恐怖におびえながらも「妹を助けなければ」と
逃げ惑う人並みに逆らって妹を探しに行くという夢。

夜中に目が覚めて、再び寝付くことがなかなかできなくなりました。
そして、考えなくてもよいこと、考えても仕方ないことを
考え始めるのでした(その時の自分はそれをしているとは気づいていませんでしたが)

履歴書を書いて、面接を受ける。
求職活動と言っても、中年のおばさんのそれですから大した関門ではないわけです。
ただそれだけのことと頭ではわかっているのに、もうどうしようもないほどの恐怖が襲ってくる。

胸がドキドキ・・・を通り越して「心臓が破裂する!」と思うほどの動悸に襲われる。
慌てて布団から飛び起きる。
何だろう、これは・・・。
そんなことがよく起こりました。
最近よく聞く「パニック障害」だったのかもしれません。

子どもの頃の夢の中の嵐や津波は、おそらく母の象徴だったのだと思いますが
なぜ求職活動でそんな夢をみるのか
その時はよく意味がつかめませんでした。

履歴書は書いたものの、出せずじまい。
出して面接の通知が来ても、こちらから断ってしまう。
いよいよ面接という日が近づくと、やはり断る。
思い切って面接を受けても、合否が出る前に断る。
合格をもらっても辞退する。

そんなことを繰り返しました。
気づくと求職活動から数か月が過ぎていました。
これまでの私なら、きっとそこで仕事をすることを諦めていたと思います。
でもその時の私は、恐怖さえ感じながらなぜか止まろうとはしなかったのです。

瞑想が自分を支えていた・・・いわゆる「頑張った」と言うより
背中から風が吹いて私はそれを受けていた、そんな感じでしょうか。

ようやく、近所の会社の受付事務の職を得て勤務開始の運びとなりました。
緊張の連続の中でもまじめに仕事をしたと思います。

まだ今よりは幾分若かったこともあり
瞑想のおかげでエネルギーはあったので
家事と仕事をどうにか両立させることができましたが
毎日が緊張の連続で、仕事帰りは何とも言えない脱力感と
理由のわからない孤独と憂鬱に襲われました。

若いお嬢さんたちに囲まれておばちゃんが一人。
様々な雑用を命じられ、一人黙々と働きましたが
お嬢さんたちは人の悪口や噂話に花を咲かせている。

事務所にはタバコの煙が充満し
その中で息を止めて必要な用事をする。
受付に戻るとほっとして深呼吸をしました。

若いセールスマンたちには個人的な買い物を頼まれて外出。
時には「たばこ一箱買ってきて」なんてこともありました。

それが半年ほど続いた頃
私はようやく自分がこの仕事に嫌気がさしていることに気がつき始めたのでした。

「とにかくそれが何であれ、言われたことを完璧に成し遂げる」
自分の感情には鈍感で、とにかく任務遂行だけしか視野にない。

師には、私の母子関係を「嫌ということを拒否させられた関係」と表現されたことがありますが
まさにそういう関係に自ら身を置いてしまう自分だったのです。

皆が美味しいと言って飲んでいるものが
私には泥水にしか思えない。
そう思っている自分をようやく認めることができたのでした。

外回りから直帰してよいと言われたその日、
命じられた任務を終えた私は、車の中で瞑想しました。

そして、帰り道に偶然ハローワークの看板を見つけます。
「今日、今、ここに何かある!」そういう直感があり
私はそちらに向かってハンドルを切ったのでした。

パートⅡに続く

タイトルとURLをコピーしました