瞑想つれづれ日記⑯子の幸せを願う自分の想いにとらわれない

瞑想つれづれ日記①-

息子が人生に行き詰まっていた。

もう大人なのだからと、
私は、息子に任せて見守っているつもりだった。

批判の嵐の中、誰にも理解されず、
四面楚歌状態の息子は家族にも心を閉ざしていた。
諦めの人生を選ぼうとしていた。

師からは、「あなたの家族は、あなたを含め誰一人自立していません」と厳しい言葉。

何かがおかしいと感じる心のモヤモヤは晴れず
矢も楯もたまらず、私はとうとう一人で息子に会いに行く決心をした。

その際、師からもらったメッセージ
「息子さんにはしっかりとあなたの考えを伝えると同時に
彼の幸せを願う自分の想いにとらわれないようにすることが大事です」

親元を離れて、全国制覇を目指す強豪校に進学したのが
息子15歳の時。

そんな息子も今年30歳になり
人生の半分は親と離れて暮らした計算になる。

末っ子長男坊で
可愛がられたと言うより、
どちらかというと甘やかされて育ったのだろう。

私にもその自覚はあり
自分の子育てに少しばかりの自責感もあった。

息子が巣立つときには私自身がまだまだ未熟で
今よりももっと「自分で立つ」ことを理解していなかった。

師の厳しい言葉は私の胸に刺さった。

だからこそ、今
少し遅すぎたかもしれないが
息子に伝えたいと思うことがあった。

本当に久しぶりに
親子二人きりの時間を過ごした。

息子の成長をかいつまんで辿れる写真をいくつか持参し
いろんな話をした。

子ども時代とは打って変わって
自分から話をしなくなって久しい息子とよくしゃべった。

私の心配をよそに
息子は思っていたより
自分や周りを冷静に見ているところがあり

自分の意志もはっきりしていて
具体的なことも考えていた。

自分の領域に踏み込んでくる者を拒み
自分の問題として考えていた。

自分が行動に移せない(移さない)理由も
自分なりにわかっていた。

私は、自分の人生経験から思うところを話し
私なりの考えを示した。

人間にはどんな選択をすることも可能であり
自由には、その選択に伴う責任が発生することも改めて伝えた。

そこを真剣に考えればこそ
安易な行動を躊躇する息子の心理もまた理解できた。

基本的に私たちの見方や考え方は同じ方向を向いていた。

「こういうことを話せて理解できるのは、世間的にはごく少数だろうね。」
息子はそう言った。

毎日血を吐くような練習が果てしなく続いていた高校時代
ヒグマの集団の中にタヌキが一匹迷い込んだような苦しい彼の部活生活に
彼が自分自身で風穴を開けたエピソードを話してやった。

彼はそのことをすっかり忘れていたが
自分がそんなことを考え
一人で乗り越えた体験があったという自信を思い出したようだった。

ただ、「あの時の苦しさと今の苦しさは、質が違うような気がする。」と言った。

そりゃそうだ。

高校時代のように
求められる基準に自分を合わせて心身を鍛える時期と違い
今ここでは
一個の人間として、自由意思を持つ大人として
自分の幸せに向き合っているのだ。

息子は、私との時間をもっと早めに切り上げて帰るつもりだったようだが
結局、私の友人の見舞いにも同行し
友人家族との楽しい時間も過ごして帰って行った。

みんなに手を振って一足先に友人宅を辞する時の息子の顔は
私に会いに来た時より晴れやかに見えた。

一人の人間として、個として生きている自分が
一人の個として生きている人間に向かって(そのつもりで)

伝えるべきと思うことは
おそらく伝えたと思う。

もっとうまい言い方はあっただろう。
欲を言えば、もっとあれもこれもと出てくる。

しかし、伝えたことを彼がどう消化し
どんな選択をし
どんな決断をするのか
後は彼が決めることだ。

心配や迷いは、私自身の自信のなさの現われであり
それを息子に投影していたのだろう。

より未熟なのは私のほうであった。

だけど、帰ってきてわかったことがある。

私は、息子に「愛している」と伝えたかったのだ、ということだ。

あっという間に巣立ち
みるみる遠ざかって行った息子に

じっくり向き合い
そう伝えてやる機会が欲しかったのだ、きっと。

師からの返信
「良い会い方だったようですね。
そうやって経験して少しづつ成熟していきます。」

お恥ずかしいことだが
遅い子離れ、親離れであった。

「死を含めてすべては大したことじゃない」
そう言い切る師。

若い頃以上に、今ではすべてに
「あ、そう」なのだそうである。

私がそんな境地にたどり着けるのは
もう少し先のようだ。

息子よ、親を超えて行け。

瞑想していなければ
師に出会っていなければ
こんなことを息子に伝えることはできなかっただろう。

願わくば
もっと早く知りたかった。
知るべきだった。

「私は私の人生を生きるよ。」
息子にはそう伝えた。

この言葉、子どもたちのためにも実践しなければ。

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