瞑想つれづれ日記⑪ 桑の実の思い出

瞑想つれづれ日記①-

先日梅の実を拾ったルートをまた歩いてみた。
誰も拾わない黄色い実は
歩道にまで転がり出ていた。
見上げると、「これから下に落ちますよ」と言わんばかりに鈴なりだ。

よく見ると、同じ通りには桑の実も生っていた。
子どもたちと過ごした日々が急に懐かしく胸に迫ってくる。

桑の実は食べるとすぐにバレてしまうほど
舌や口の周りが強烈な色に染まってしまう。

子どもたちは幼い頃
「お母さん、見て!」と紫色のベロを出してよく見せてくれた。

桑の実をはじめ、野イチゴ、ゆすらうめ、グミ、アケビ、イチジク、柘榴、柿・・・
子どもたちは、手あたり次第見つけてはよく食した。
食べごろも良く知っていた。

子どもたちは、幼児期から小学生の頃にかけて
可愛いイタズラもした。
ささやかな泥棒もした。
そして、その泥棒のカタも子どもなりにつけていた。

権力を持つ子に歯向かい
取っ組み合いのけんかをした子もいる。

末の息子は、座学が苦手でよく立たされた。
一緒に廊下に出された友達とじゃれ合ってはまた先生に叱られる。
授業参観で見たその光景に
おかしいやら、ハラハラするやらの私だった。

そして、息子はお笑いが好きだった。
さも大発見をしたかように自分で考えたクイズを
意気揚々と出してくる。

最高傑作だったと今でも思うのが
5歳のときに考えた問題。

「ドラえもんの苗字は何でしょうか?」

家族がそれぞれ答える。
「のびドラえもん!」ブブー!
「どらドラえもん!」ブブー!

誰が答えても正解に辿りつかない。
しびれを切らして聞く。
「降参だよ、教えて」

答えは「ぼく」だよ。
???
だって、ぼくドラえもんっていうでしょ!

ずっこけたのか、爆笑したのか覚えていないが
今でも私の中では、とぼけた息子の秀逸なクイズだったと思っている。

桑の実からふとあの頃の光景がよみがえってきた。

今はみんな、都会の中で喘ぎながら生きている。

病気をした子もいる。
問題を抱えている子もいる。
それなりに適応している子もいる。

それぞれに自我を身につけ
それを利用したり、振り回されたりしている。

子ども時代は素直に親に従った子も、今は誰も振り向かない。
私が瞑想しろと言っても聞くはずもない。

まあ、そんなもんか。

でもね、子どもたちよ。

生まれてきた意味を満たし
イノチいっぱいに生きてほしい。

母としても、一人の人間としても
そう願っている。

思い出の桑の実から
ちょっと感傷に浸った朝となった。

タイトルとURLをコピーしました