今朝はあいにくの小雨だったが
傘をさして、日課の朝食前の散歩に出かけた。
「早起きは三文の徳(得)」と言われるが
私の朝の散歩は、早起きとはとても言えない
その日その日、目覚めた時間によってまちまちの散歩だ。
ルートもその日の気分任せ。
家の中とは明らかに違う空気
気温や風や緑の変化など
季節を満喫するにはもってこいの習慣だと思っている。
ふと気づくと、いつもの道の端っこに
黄色く丸い実が落ちている。
拾い上げてみると、なんとまあ大きくて立派な完熟梅。
傷もなくきれい。
よく見ると、道路わきの藪の中には黄色い梅の実がちらほらと見える。
どれも同じように傷ひとつなく完熟したきれいな実。
見上げれば、そこそこ大きな梅の木が一本だけ立っている。
藪の中に孤立するその梅の木に持ち主がいるとはとても思えない。
拾った梅の実は芳香を放ち、私を誘う。
このまま誰の目にも触れずにいれば
藪の中で腐っていく黄色い実。
毎年、私は、実家の空き地の梅の木から実をもぎ取ってきては
梅酒や梅干し作りをしていたが
今年はさまざまな事情で機会を逸し
それらをあきらめていた。
私は思わず持っていた大判のハンカチを広げて
四隅を対角線で縛り袋を作った。
その中に見つけた梅の実を放り込む。
這いつくばって藪の中に手を突っ込み、私は黄色い実を集めた。
拾っている最中にもポトッ!ポトッ!と上から実が落ちてくる。
まるで、今日という収穫日を待っていたように
梅の実は落ちてくる。
黄色を見印に藪の中から目に入るだけのものを拾い終えた頃
急ごしらえの袋は満杯になった。
その間、何台かの車が私の後ろを通り過ぎた。
私は完全に怪しいおばちゃんだったに違いない。
袋をぶら下げ、家に帰りながら
私は甘酸っぱい幸せに満ち溢れた。
帰るなり、朝ごはんも食べずに
私は梅干し作りの準備にとりかかった。
実の重さを量り、塩の量を計算する。
空いている瓶を消毒し、実を洗ってへたを取る。
梅の実の水気を拭き取りながら
改めてその香りを堪能する。
毎年この香りの中でする作業が私は好きだ。
瓶に梅を敷き詰め、塩を振る。
その上にまた梅の実を重ねる。
また塩を振る。
それを重ねていく単純作業。
おそらく私は、出来上がった梅干しそのものより
芳香の中で行うこの工程が好きなのだ。
明日から少しづつ梅の汁が上がってくる。
それを毎日眺めてはにんまりする。
私はその時間が好きなのだ。
次は紫蘇の準備だ。
そして、梅雨の晴れ間を見つけて三日ほど梅を干す。
出来上がったら、小分けにして子どもたちへと送る。
あきらめていた大好きなこの作業が今年もまたできた。
偶然の計らいに心の中でありがとうを言った。
考えにくいことだが
もし、あの木に持ち主がいたらごめんなさい!
少しだけ分けていただきました。
ありがとうございました。
熟れた実の芳香にひとときの幸せをもらい
もうじきやってくる梅雨を思った朝でした。