瞑想つれづれ日記⑫ 忘れる幸せ

瞑想つれづれ日記①-

施設に入所している父に久しぶりに会いに行った。
まだガラス越しの面会だ。

妹と休みを合わせて片道約2時間弱のドライブをする。

今年90歳を迎えた父は認知症。
私と妹のことは忘れていないし、見分けもどうにかつく。
ガラス越しの面会の理由を何度も説明する。

でも、自分の身体に心臓ペースメーカーが入っていることなど何度説明しても忘れてしまう。
自分はどこも悪いところがなくて、元気だけが取り柄だと笑う。

父は手を伸ばし、何度もエア握手を求めてくる。
そのたびに私たち姉妹も手を差し出す。

父も、私たちも、付き添ってくれている施設の職員さんも
みんなよく笑い、穏やかな時間が流れる。

いつだったか私は父に詰め寄ったことがある。

私たちが子どもの頃、母が気がふれたように叫ぶのを
私たちに厳しいことをするのを
なぜ止めてくれなかったのか、と。
なんでいつも見て見ぬふりだったのか、と。

その時の父は少しどぎまぎしていた。

大人になった今、父の気持ちも少しわかるような気もする。
もう、私も子どもの頃の体験を超えた。

今、父は何でも風のように忘れる。
父の時間は過去にも未来にもなく
「今ここ」にしかない。
忘れることは幸せなことかもしれない。

師にそのことを話してみた。そうしたら、
「病気になって忘れちゃうんじゃなくてそうならなきゃね!」って。

あーそうだったなあ。
記憶が失われることを目指すんじゃなくて
何も想わないことを目指すんじゃなくて

その記憶があるままで
想って生きつつ
囚われから自由になって生きるんだ。
幸せになるって
成長するってそういうことだ。

そのために瞑想しているんだ。

頼りなくて
何もしない人だったけど
「今」という時間に生きている父が
私は好きだ。

それだけで十分だ。
また会おうね、お父さん。

タイトルとURLをコピーしました