出発③ 少女との再会

出発①-④

毎日の瞑想が習慣化していくにつれ
私は少しづつ活力を取り戻していきました。

毎日の瞑想が楽しく、
正確には・・・瞑想の内容が楽しいのではなく

やるべきこととしての瞑想ではなく
日常生活の一部として楽しんでいたという感じです。

相変わらず問題はそのまま。

でも、それが自分の人生の全体を覆っているような感覚は薄れ
それなりに対処しながら
自分の時間を楽しむ余裕が生まれていました。

近場に安く入れる小さな温泉施設があることを知ったのはその頃です。
私は一人の時間にしばしば通うようになりました。

ある日、いつものように温泉を楽しんでいたら
女性の金切り声が聞こえてきました。

どうも子どもを叱りつけているみたいでした。

私は声のする方に背を向けていたのですが、
シャンプーを終えて顔を上げると
驚いたことにその声の主と思しき親子が隣にいました。

母親は相変わらず何やらブツブツ文句を言いながら
何を苛立っているのか、しきりに子どもに向かってヒステリックに声を荒げています。

隣には4,5歳くらいかと思われる女の子がしょぼんと立っています。
何か叱られなくてはならないことをその子がしているとは思えませんでした。

その母親の異常なヒステリー性が自分の母のそれと重なり
その記憶への反感も生まれましたが

でも、赤の他人が親に口を出すのもはばかられ
私はその女の子のほうを向いて笑顔を作って話しかけました。
「いくつ?」と。

周りの大人は見て見ぬふりをしているのに
知らない私に話しかけられてその子は少し驚いたのでしょう。

小さな声で「8歳」と答えました。

実際に年齢を知りたくてその子に問うたわけではなかったのですが
当然4,5歳と思っていたその子の年齢を聞いた時、私は愕然としました。

その子は明らかに8歳の身体ではありませんでした。

背丈も低く、やせ細り、まるで幼稚園児のよう。
何よりその表情は正常に発育した8歳の子どものそれとは思えませんでした。

それから私はその子に話しかけ続けました。
内容はよく覚えていません。
とにかく放っておけませんでした。

その子は、初めは恐る恐る私の問いかけに小さな声で答えます。
そして次第に、恥ずかしそうに笑顔を見せる人なつこい一面も。

母親に連れられて場所を移動してからも
その子は母親の目を盗んでは私を目線で追い、手を振り、笑顔を見せます。

その子は、本当はこちらに来たいのではないかという気がしました。
いいえ、もしかしたら私がその子を母親から抱き取って逃げたかったのかもしれません。

やがて、その子は母親に引きずられて私より先に洗い場を出て行きました。
最後に私に「バイバイ」と手を振って。

「あの子は私だ。」
確信のようなものがありました。

瞑想の中で会いに行った子どもが
自分の前に再び現れたような出来事でした。

幼子はそこがどんなに理不尽でも、育つ場所を選べない。

生きるためにその環境を受け入れなければならないことを本能的に知っていて
安全のためにそこに馴染むことを自分に言い聞かせていることを
あの「バイバイ」が物語っているように感じました。

夢の中で大人の私の話を聞こえないふりをしていた5歳の私は
(もしかしたら8歳だったのかも)
自分を守らなくてはならなかったのだ。

そしてどんな扱いを受けても
やっぱりお母さんのことが好き。
その人に愛されたかったのだ。

愛しているから、愛されるために母が望むことを選択し
「自分の声を聞かない」ことを子どもなりに誓っていたのだ。
そして安全な森の奥に隠れてしまったのだ。

私が森から帰るときのあの無表情な子どもの顔の裏には
「本当は森から出たい。でも・・・」という
そんなかすかな希望と諦めの想いがあったのだ。

最後まで自分から言葉を発することのなかった少女。
「置いて行かないで。」
その言葉を少女が私に言えるまで
私は彼女に寄り添うことができなかった。

その子との出会いは、後にも先にもその時だけで
ずっと気になりながらも、それ以来お風呂はおろか
スーパーなどでも見かけることはありませんでした。

そしてその後、私はある歌をきっかけに
自分がなぜこの瞑想に向かっていったのかを知ることになります。

そして母親の呪縛から自由になるために
実の母親と闘う日が来るとはその時は知る由もありませんでした。

お風呂で出会った少女も無事に成長していればもう大人。
私が師と瞑想に出会ったように
その子も本来の自分に戻る道に出会えていたらいいなと今でも思います。

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